隠された情報
デスクの辺りで複数の職員が
ひそひそと相談をしているのが見える。
ようやく戻ってきた担当者は、短く告げた。
「書類はありません」
彼は一瞬言葉につまった後、
「それなら、せめて子供の住所を出してください」
「私は親権者、法定代理人です」
「裁判所への申し立てに必要なんです」
職員は目を合わせず、
「あなたの住所はだせますけど、どうします?」
と話を逸らすような返答をした。
そのとき彼は、思った。
「ああ、これはやられてる」
「不安が的中した」
戻らない日常
朝8時半。幼稚園へ向かう坂道。
自転車の後ろに乗った
5歳の長男が楽しそうに聞いた。
「パパ、今日のお弁当なあに?」
「ハンバーグだよ」
「やったー!」
あのやり取りから、もう3年。
雄一さんは我が子と引き離され、
あの日のような朝を、
再び迎える事は出来ずにいる。
家族を支える父の姿
雄一さん(仮名・40代)は
東京都内に住む会社員。
仕事をしながら、
家事も育児もこなしてきた。
長男の離乳食の頃から、
ほうれん草や人参、かぼちゃなどを
ペーストにして味付けをし、
口に運んであげた。
調理師免許を持つ腕前は確かで、
子供たちはパパの料理が大好きだった。
妻も会社員として働いていた。
けれど気づけば、家事も育児も、
負担は雄一さんの肩に乗っていた。
家計は全て
雄一さんの収入と貯金で
支えられていた。
その偏りが、夫婦関係を
象徴していたのかもしれない。

崩れる家族のかたち
2022年、夏のある夜。
子どもたちが寝静まったころ、
妻が突然切り出した。
「もう無理、離婚したい」
「離婚!?」
「何が無理なの?」
「・・・」
雄一さんが尋ねても、
返ってくるのは沈黙だけ。
思い返せば、二人目の出産後から、
妻は会話を避けるようになり、
夫婦の距離はだんだん広がっていた。
雄一さんは
「コロナ禍のストレスだろう」
「苦しいのは皆同じ、
今を乗り越えれば戻れるはずだ」
と思い、耐えていた。
しかし現実は、非情だった。
離婚となれば、子どもの生活を
どうするか決める必要がある。
数日に渡る話し合いの末、
「平日は妻、週末は雄一さんが子をみる」
という形で、いったん折り合いをつけた。
突然消えた日
ところが、その数日後。
仕事を終えて帰宅した雄一さんを、
異様な静けさが迎えた。
部屋には誰の気配も無い。
子どもたちの服やおもちゃも、
妻の私物も、家電も
ごっそり消えていた。
テーブルには1枚の置手紙。
「しばらく時間が欲しい」
「今後はこの弁護士に連絡してください」
書かれていた番号に
電話をかけたが、応答はない。
何度かけても同じだった。
足が震え、呼吸が浅くなる。
気が付くと、雄一さんは
110番に電話していた。
ほどなくして世田谷警察署の、
警察官が到着した。
中年男性の警察官は、
酔っているような口ぶりで、
「どうした?」と聞いた。
雄一さんが状況を説明すると
「奥さんとけんかした?」
「あー、喧嘩しちゃったかー」
「弁護士さんと連絡しなよ」
と言って、帰ろうとした。
「子どもがどこにいるかだけでも
確認してください!」
必死の訴えも空しく、
警察官は帰ってしまった。
その夜、雄一さんは一睡もできなかった。
闘いの始まり
翌朝、折り返しの電話がかかってきた。
「〇〇法律事務所です。受任しました」
「…何のことですか?」
「離婚関係です」
「危険があるため奥さんは避難しました」
「危険って…」
「じゃあこっちも弁護士立てますから」
雄一さんは呆然としながら電話を切り、
弁護士を探し始めた。
状況を説明すると、
「勝てる見込みがありません」
と何度も断られた。
どうして「勝てる見込みが無い」のか
理解に苦しんだ。
法テラスので紹介で、ようやく
引き受けてくれる弁護士に出会えた。
しかし裁判所に申し立てるには、
相手の住所が必要だという。
彼は役所へ向かった。
見えない壁
窓口で書類を提出すると、
職員は奥へいき、しばらく戻ってこなかった。
デスクの辺りで複数の職員が
ひそひそと相談をしているのが見える。
ようやく戻ってきた職員は、短く告げた。
「書類はありません」
彼は一瞬言葉につまった後、
「それなら、せめて子供の書類を出してください」
「私は親権者、法定代理人です」
「裁判所への申し立てに必要なんです」
職員は目を合わせず、
「あなたの住所はだせますけど、どうします?」
と話を逸らすような返答をした。
そのとき彼は思った。
「ああ、これはやられてる」
「不安が的中してしまった」
雄一さんは
我が子を連れ去られた後、
自分の置かれた状況が理解できず
必死でネット検索をした。
そのとき、「DV等支援措置」
という制度が悪用される
ケースがあることを知ったのだ。
DV等支援措置とは
DV等支援措置は、
配偶者や恋人などからの
暴力被害を受けたとされる人が、
住民票や住所の開示を
制限できる制度だ。
一度申し出が受理されると、
“加害者とされた”側は
申請者の居場所を知ることができない。
被害者を保護するための制度だが、
運用次第では、
加害者を支援する道具になってしまう。

計画されていた連れ去り
雄一さんが自宅で片付けを
していたときだった。
散らかった書類の中に、
妻が置き忘れたと思われるメモがあった。
雄一さんはそれを見て衝撃を受ける。
メモには、
子供の連れ去り計画を
うかがわせる内容に加え、
妻が同居を望む別の男の存在を
示唆する記述まであった…。
想像してみて欲しい。
知らないところで、
親子を引き離す準備が進められ、
パートナーの欲求を優先するために、
自分が悪者に仕立てられて
いたとしたら…。
逆転する加害者と被害者
なんとかして裁判所の申し立てに
漕ぎつけた雄一さんは、
東京家庭裁判所で、調停に臨んだ。
そこで思いがけない味方が現れる。
妻側の両親が提出した書面には、
「子の監護者として
ふさわしいのは雄一さんだ」
という主張が書かれていた。
調停は話し合いの場。
その書面は「裁判」に影響がある
かもしれないが、「調停」では、
雄一さんに有利に働くことは無かった。
それどころか、これを受けて
妻は自分の両親にまで
DV等支援措置をかけてしまったのだ。
妻の両親は遠方に住んでいて、
年に一回の帰省時に
顔を合わせる関係性だったため、
DVや虐待しようがない。
しかし、”申請者の言い分が全て”
である運用においては、
こうした破綻しているように
思われる内容の申請が
受理されてしまう。
遠く離れた場所に住む
自身の親まで”加害者”にしてしまえる。
加害者が被害者になれる。
その異常な運用を目の当たりにし、
雄一さんの中にあった疑念は、
確信へと変わった。
彼は制度の問題についてこう話す。
「本当に危険な状況にある人を
守る仕組みは必要です」
「でも今の制度には、
申立てた側の主張だけで、
措置が実行される」
「緊急避難として逃がすこと
自体は理解できます。
でも一時的な保護を、
放置される運用はおかしい。
虚偽の申告でも、誤解でも、
支援措置をかけられた方は
反証の機会が無く、
行政はそれに何も答えないんです」
つまり、一度「加害者」の
レッテルを貼られたら
それを剥がす方法がほぼない、
ということ。
これは当然、雄一さんのケースに
限らない問題であって、
制度によって社会のバランス
そのものが揺らいでいるのだ。
バランスを失いかけた社会で
彼は、社会の変化を
「振り子」にたとえて話す。
「かつて女性の権利が十分に
尊重されなかった時代があり、
それを補うための支援が強化されてきました。
ただ、“支援の方向性”が性別と結びついた
ままだと、現実のケースに対応できません」
「日本初の女性首相の誕生が
象徴するように、社会は少しずつ
固定観念から自由になっています。
けれど、社会全体が冷静さを失えば、
振り子はまた逆の方向に大きく
振れてしまうでしょう」
雄一さんが問題にしているのは、
「性別で強者・弱者・加害者・被害者
を決めつける制度」の構造だ。
DV防止法の前文には、
「配偶者からの暴力の被害者は、多くの場合女性であり」
と記されている。
制定当時の社会状況を踏まえた表現ではある。
しかし、現在では男性の被害も多数
存在することが統計で示されている。
令和6年の統計では、
配偶者からのDV被害を経験した
女性は27.5%、男性は22.0%
差はあるものの、
「片方の性だけが支援を必要としている」
とは到底言えない。
守るべきは、「性別」ではなく、
本当に助けを必要としている
「人」なのだ。

わずかな時間に込める愛情
連れ去りから数年…。
ようやく雄一さんは、子どもたちと
会えるようになった。
家庭裁判所の審判を経て、
月に1回の面会交流(現・親子交流)
が認められた。
交流は、妻側の要望により
第三者機関のFPIC(エフピック)
=面会交流支援センター内で行われる。
おもちゃや絵本が置かれた小さな
プレイルームで子供たちと
遊んだり、話したり、
一緒に過ごすのは、わずか2時間。
すべてがかけがえのない瞬間だ。
別れ際、手を振る息子たちの
姿が見えなくなるまで、
雄一さんは見送る。
その幸せな瞬間が終わると、
静かな時間が戻ってくる。
一緒に夕飯を食べることも、
「おかえり」「ただいま」と
言葉を交わすこともない。
月に1回の短い再会では、
親子の日常は戻ってこない。

次世代のために、声を上げる父
雄一さんは、制度の歪みを
次世代に残さないため、
声を上げ続けている。
SNSでの発信、
行政への働きかけ。
同じ境遇の人たちとの対話。
できることを積み重ねている。
「人を守るはずの制度が、
人の尊厳を奪い続けている。
このままでいいはずがありません」
彼は誰かを責めたいのではなく、
誰もが正当に守られる社会になること
を願って声を上げている。
より良い未来をわが子に手渡すために。
そして、苦しむ親子を
これ以上生まないために。
雄一さんは今日も、前に進み続けている。


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