親がいるのに、親のように感じられない。
そんな違和感を、子どもが抱えてしまうのはなぜでしょうか。
埼玉県に住む辻さん(仮名・30代)が、
小学3年生の時に母に連れ去られた経験などを語ってくれました。
「家出をしていた母が帰って来たのは、5月の連休中でした。
何日も家を空けていたのに、『子どもと出かけたい』と言って、僕と弟を連れだしたんです。
歩きながら、こう聞かれたんです。
『別のとこに住みたいんだけど、お母さんについてくる?
今ついてこないと二度と会えないよ』その時、すごく怖くて、体が固まったのを覚えています。
弟は迷わず『付いていく』と答えました。
僕も、弟と離れたくなかったし、『付いていく』と言うしかなかった。『二度と会えない』なんて言われて、断れる子どもは、きっといないと思います。
こうして始まったのは、母とその不倫相手との同居生活。
その生活は隣り町の見知らぬ団地で始まったといいます。
結局、母とその男は、数年で別れました。
僕が中学に上がるころ、祖母の家へ引っ越したんです。
ばあちゃんは真っ当な人でした。
母が働かずに、お金も家に入れないことを知りながら、僕らを受け入れてくれました。母がまた新しい男を作って出ていくまでの数年間、ばあちゃんが生活を支えてくれました。
ばあちゃん、母が僕たちと父を会わせないのを見かねて、
何度も電話をしてくれたそうです。
『父親は世界中どこを見ても代わりがいない。会わせなさい』って。そのおかげで、父と会えるようになったんです。
『ばあちゃん、ありがとう』 って、今でも心から感謝してます。

祖母のおかげで再会できた父と子。しかし、その時間も決して十分とは言えませんでした。
父と会えるのは月に1回、たった2時間。
場所はファミレスとかのごはん屋さん。
『一緒にご飯を食べる』だけでした。月に1回、2時間ですよ。
そんな時間じゃ、父との距離は縮まらないんです。父は養育費を払い、学費も負担してくれました。
感謝しているし、尊敬もしています。でも、悩みを相談したり、気軽に愚痴をこぼせるような関係ではなかったんです。
弟がある時、言ったんです。
『遠い親戚のおじさんみたいだよね』って。的を射すぎて、笑うしかありませんでした。
だから思うんです。
『別居してても、毎週会わせるべきだ』って。そうじゃないと、心の距離は縮まらない。
親がいるのに、健全な親子関係が築けない。子どもにとって、それがどれほど不自然なことかわかりますか?

👉注:子どもの権利について
「子どもの権利条約」を知っていますか?
日本も批准している国連の条約です。そこには、子どもの「親と引き離されない権利」が明記されています。
第9条には、以下の事が書かれています。
締約国は、児童がその父母と分離されないことを確保する。
ただし、児童の最善の利益のために必要と裁判所などが判断した場合は除く。
👉 つまり、この条文は「親がいるのに会えない・育ててもらえない」という不自然な状況を防ぐためのものといえます。
一方、母親との暮らしには、さらに別の問題があったといいます。
母は『シングルマザー』として児童扶養手当を満額受け取っていました。
でも、ほんとうは義父と事実婚状態だったんです。弟が18歳になるまで、わざと籍を入れず、制度を利用し続けていました。
それって『不正』じゃないですか?
僕はずっと疑問に思っていました。しかも、受け取る養育費を減らされないように、僕たちに嘘をつかせたんです。
本当は同居しているのに、義父(事実婚相手)と同居していない、そう父に言えと。
僕はうまく嘘が言えず、めちゃくちゃ怒られました。
あれは今でもトラウマになっていて、母を恨んでいます。
👉注:児童扶養手当について
児童扶養手当法 第4条では、母または父が事実婚や再婚状態にある場合、手当は支給対象外とされています。
つまり、「事実婚なのに満額受給していた」というのは、不正にあたります。

高校生になってから、自分で料理を作るようになりました。
疲れて帰ってきて、出されるのがウインナーとごはんだけ。
さすがに、それは辛いじゃないですか。
ろくに飯を作らない、家事もしないくせに、大変アピールだけはする人でした。
文句を言うと、逆に責められる。
だから言うのをやめて、自炊を始めたんです。僕も弟も、「おふくろの味」というものを知りません。
覚えているのは、おばあちゃんが握ってくれたおにぎりくらいです。それだったら、せめて働いて、その姿を子どもに見せるべきです。
でも母は働かず、実家に寄生し、養育費やいろんなものに頼り、誰にも感謝していなかった。『お父さんには会わせないけど、お金は受け取る』
そうなったら、どうやって子どもを納得させるつもりだったんでしょうか。この国は母親なら許される、という空気があると思います。
でも、連れ去った親が「子どもを手元に置いている」ことを盾にして、
簡単にお金を得られる仕組みは、あまりにも不公平です。お金は湧いてくるものじゃないのに、『子どもがいるから払え』と口にする母は、あまりに軽すぎました。
僕と弟は母からも父からも、『家族』を学ぶことはできませんでした。
だから『親がいるのに、親じゃない』という感じでした。
親の身勝手に苦しんだという言葉は、辻さんだけのものではありません。
多くの子どもたちが、声にできないまま同じような痛みを抱えている事でしょう。


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