2025年1月、神奈川県に住む武田さん(仮名・30代男性)は、別居する息子と娘の「もっと一緒にいたい」「パパの家にお泊まりしたい」という願いを叶えてあげられないもどかしさと悔しさを綴りました。今回は、武田さんから寄せられた投稿をご紹介します。
息子の涙の訴えに寄り添おうとしない同居親にも、自分の不甲斐なさにも、怒りが収まりません。
子供が本当に不憫でなりません!少し長くなりますが、吐き出させてください。
今回の交流での出来事。
4歳の息子は、先月の交流以降、お泊まりの日でなくても
「やったー!今日はパパん家でお泊まりだ〜!」
と言うのが口癖になった。
とても嬉しい。
でも決して言わせているわけではない。
むしろ、願いを叶えてあげにくい事をどう伝えるべきか、毎回苦しんでいる。
今回の交流でも、息子は同じ言葉を口にした。
過去の私の返答として、こう伝えてきた。
「パパん家は息子くんと娘ちゃんの家でもあるから、また遊びにおいで」
「娘ちゃんを1人でママの家に帰すと寂しいから、一緒にいてあげてくれる?」
あえて「ママが許してくれないから」という理由は避けた。
同居親の決定が絶対だと思ってほしくないから。
でも現実は違う。日本では、同居親の意向が絶対。
息子の願いを叶えてあげることができない。
今回も、どう諭すべきか悩むことになった。
帰る時間が近づくと、息子は必死に抵抗した。
「今日はパパん家でごはん食べる!」
「今日はパパん家でお風呂入る!」
「今日はパパん家で寝る!」
「パパん家で寝るんだから、車に乗らない!」
そんな息子の気持ちを考えたら、応えてやりたいと思うのが親であろう。
そこで同居親に連絡した。
「息子は今夜も泊まりたいと言っています。
明日の朝、私が送迎しますので、対応をお願いします。」
私は明日仕事ですが、出勤前に送ることは可能。
相手も仕事だとしても、普段その時間に送迎しているのだから問題はない。
少し早起きすれば済むこと。
息子の気持ちを考えたら、たいしたことではない。
しかし、当然のように拒否された。
「明日は登園日なので許可できません。帰ってこないなら迎えに行きます」
許可?そんな話ではない。
なぜ子の願いに応えようとしない?
できるのに、なぜしない?
極論、私が園へ送ればそれで済む話なのに。
子供の前で揉めるのは避けたい。
私は「娘ちゃんをママの家に送ろう」と息子を説得し、なんとか車に乗せた。
娘は娘で「塾の宿題が終わってないから、ママに怒られる…」と不安に駆られ、自ら帰る選択をした。
娘の選択なので私がとがめる事はしない。
でも、同居親への恐怖に支配されてしまっている様子が、あまりにも悲しく、辛く、やるせない。
優しい娘はまだ「パパもママも大好きだよ」と言ってくれる。
その無垢な気持ちを、同居親は踏みにじっていることに気づいているのだろうか。
同居親の家に到着し、車から荷物を下ろしていると、息子が自分の荷物に気づいた。
そして、何かを察した顔をした。
胸が締めつけられる。
何も言えなかった。
情けない。
私は息子の気持ちに応えようとしているだけなのに…
娘は深い眠りについていた。
娘を抱きかかえ、荷物を持とうとすると、息子が言った。
「パパ、大変そうだから荷物持つよ」
でも、私は断った。
「ありがとう。でもパパ頑張って持つよ」
――罪滅ぼしのつもりで口にした言葉だった。
この後、息子の願いを叶えられるかわからない。
むしろ、叶えられない確率のほうが高い。
息子にまた辛い思いをさせてしまう…。
玄関に着くと、同居親が出迎えた。
いつもなら「ママ、ただいま」と言う息子が、今日は何も言わなかった。
ただ、黙って靴を脱いでいた。
その沈黙が、息子の葛藤を物語っていた。
熟睡する娘を同居親に預け、荷物を玄関に置く。
息子は自分の荷物をじっと見つめていた。
そこへ同居親が荷物を取りに戻ってくる。
息子が言った。
「このおもちゃ、パパに変形してもらうから持っていかないで」
トランスフォーマーのおもちゃを指差し、必死に訴えた。
同居親は「早くしてね」とだけ言い、他の荷物を持ち去った。
息子は嬉しそうにおもちゃを取り出し、私に渡してきた。
「変形させて」
私は「わかった」と応え、玄関にしゃがむ。
すると、息子が膝の上に乗ってきた。
「今日はパパん家に帰るもんね」
息子の言葉に、心がぐちゃぐちゃになる。
私は黙って息子を抱きしめながら、おもちゃを変形させた。
喜ぶ息子の姿をよそに、奥から同居親が息子を呼ぶ。
その瞬間、息子は私にしがみついた。
そして――
「パパん家に帰る… パパん家に帰る…」
涙をぽろぽろと流しながら、苦しそうに絞り出すような声。
私は強く息子を抱きしめた。
そこへ、同居親が玄関までやってくる。
私は「本当に無理なのか?」と尋ねた。
しかし、同居親はすでに息子の涙に苛立っている様子だった。
怒鳴ることこそなかったが、一言だけ、
「無理です」
と言い、息子を抱き上げた。
息子の悲痛な泣き声が大きくなる。
このまま抗い、息子を抱きしめ続けるべきか。
でも、ここでまた子供の前で争うのは良くない。
でも…。
そんな考えを巡らせているうちに、私は手を離してしまっていた。
あぁ、情けない。
こんなにも息子が願っているのに、なぜ私は正義を貫けないのか。
帰宅後、いてもたってもいられず、同居親に訴えた。
「なぜ子供の想いに応えてあげようとしないのか?」
同居親からの返答はこうだった。
「あなたが“子供のため”と思い込んでやっていることは、自己中心的で、かえって子供を傷つけている」
同居親が泊まりを拒否すると分かっていながら、息子に期待させたことを責めてきた。
違う。決して私の自己中ではない。
望んだのは息子。
私も望んだ。
娘も宿題がなければ、泊まりたいと言っていた。
望まなかったのは、同居親だけだ。
自己中心的だったのは誰なのか?
私は、子供の希望を叶えるために、無理のない提案をした。
それを拒絶したのは、同居親だけだった。
それでも私が自己中なのか?
「なぜ無理なのか?」と問うと、こう返された。
「子供に早起きさせて、辛い思いをさせるのですか?」
息子には事前に話し、「大丈夫」と言われていた。
寝ている間に私が車で送ることもできる。
「子供が泊まりを望んでも、諭すのが父親では?」
同居親の言葉に、強い違和感を覚えた。
そうではない。
自由に会えない子供が強く望んでいるのだから、
可能な範囲で、子供の負担にならない範囲で、
柔軟に対応できないか検討するのも親の役目ではないか?
今回の件は、十分に可能だったはずだ。
結局、同居親が言う“父親(私)”とは、
「非親権者としてわきまえろ」
それだけの意味なのだろう。
話にならなかった。
同居親は、子供に絶望ばかり見せている。
親だからといって、子供の希望や尊厳を踏みにじっていいはずがない。
子供は、親の思い通りに動く“物”ではない。
良くも悪くも親の影響を受けながら、
自分なりに成長していく“人間”だ。
親は、子供が自分より立派に、幸せになってほしいと願うもの。
だからこそ、できる限りの希望や知識、経験、愛情を与え、
あとは子供自身がどう受け取るかに委ねるものではないのか?
頭ごなしに
「あれもダメ、これもダメ」「こうしろ、ああしろ」
と押しつけ、絶望だけを与えるなど、言語道断だ。
私と同居親、どちらが自己中心的ですか?
共同で養育していると考えれば、
子供が大好きなパパとママに、
・保育園の送迎をしてもらい
・学校行事にも参加してもらい
・両方の家を自由に行き来できる
そんな当たり前のことができるようになる。
その姿を見て、子供が喜ぶのは分かりきっている。
大人の都合で歪みあってる両親を嘆き涙する子供を見続けたいか?
子供にとって、離婚も親権も関係ない。
ただ、両親を好きでいたいし、愛されていたいだけ。
その無垢な想いを踏みにじってまで、親子を引き裂いて、
一体、誰が喜んでいるのか?
「離婚したから、別居親はもう関係ない」
これは、同居親の勝手な都合だ。
「別居親が会いたがっているから、会わせてやっている」
それも違う。
子供も、別居親に会いたいんだ。
勘違いしないでください。
【編集部コメント】
離婚は親の問題であり、子供には何の責任もありません。
しかし武田さん親子のように、日本では離婚後、別居親と子が殆ど会えなかったり、関係が途絶えてしまうケースが後を絶ちません。これは、子供の幸福をないがしろにしていると言わざるを得ません。親子交流の促進、親権制度の見直し、そして何より子供の視点に立った議論の必要性が、改めて浮き彫りになっています。
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