東京都在住のありささん(仮名・20代女性)は、母親に「お父さんは死んだ」と言われて育ちました。
友達が「お父さんと旅行に行った」「お父さんに怒られた」と話していても、私は「うちは母子家庭だから、関係ない」と思うだけ。父がいないのが当たり前で、それを疑うこともありませんでした。
しかし、その「当たり前」は、高校進学を考えたとき、あっけなく覆されることになります。
お金がないから? いや、それだけじゃなかった
ありささんは高校進学を希望していました。しかし、母親に相談すると、帰って来たのは思いがけない言葉でした。
母は『お金がないから、中卒でいいでしょ』と言ってきました。……いやいや、ちょっと待って。いくらなんでも軽すぎる。納得できなかった私は、母の兄弟に相談することにしました。親戚が説得してくれれば、進学の道が開けるかもしれない。そう思ったんです。でも、そこで母の兄から、とんでもない言葉が飛び出しました。
「お金なら、お父さん生きてるんだから、お父さんに出してもらえば?」……え???
長年信じてきた事が、たった一言で崩れ去った瞬間でした。
頭の中が真っ白になりました。——お父さん、生きてる???
一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。でも、その次に、今までずっと信じていたものが全部嘘だったと気づいて、衝撃が押し寄せました。そりゃそうですよね。中学3年生まで、「うちのお父さんは死んだ」って言葉、信じてたんですから。なぜ母はそんな嘘を吹き込んだのか。なぜ父の存在を隠していたのか。
「父がいないのが当たり前」だった幼少期
ありささんは生まれてすぐ母の実家に連れてこられ、父親の記憶がないまま育ちました。そのため、幼い頃は父がいないことに対して特に疑問を持つことはなかったのです。
父がいないのが普通だったので、寂しいと感じることも殆どありませんでした。でも、今思えば『あれ?』と思うような出来事はいくつかあったんです。その一つが、小学生のときの事でした。
あしなが育英会の支援を受けている子どもたちが集められることがあって、私も当然のようにその輪に加わったんです。でも、先生に『あなたは違うから』って言われて……。え、なんで?って。
「同じ片親家庭なのに、なぜ私は違うの?」って。今になって思うと、先生は父がいることを知っていたんですね。
母の冷たい言葉——「あなたには関係ない」
高校進学の件で初めて「父が生きている」と知ったありささんは、すぐに母に聞きました。しかし、母の反応は予想以上に冷たいものでした。
お父さんが生きてるって知って、すぐに母に聞いたんです。そしたら『あなたには関係ない』『知る必要もない』って言われて……なにそれ、めちゃくちゃ関係あるでしょ?
父が生きているのなら、どうして今まで会わせてくれなかったの? なぜ嘘をついたの?でも、母はそれ以上の説明をすることなく、この話題を強引に終わらせました。
怒りというより、呆れました。『やっぱりそういう人なんだな』って。冷めた気持ちのほうが強かったですね。
母の言葉に違和感を抱くことは幼い頃からありましたが、まさかこんな大嘘をつかれていたなんて——。
父に対して、どう思えばいいのかも分かりませんでした。会いたいのかどうかすら、自分の気持ちが整理できなかったです。
父との再会までの道のり
ありささんは父親が生きていると知っても、すぐに会うことはできませんでした。
どうやって連絡を取ればいいのかも分からなかったし、そもそも何をすればいいのかも分からなかったんです。だから、結局そのままの生活が続いていました。
モヤモヤを抱えたまま時が経ち、ありささんは短大を卒業し、地元を離れて都会で就職しました。そして、ついに父と向き合う決意をします。とはいえ、肝心の父の連絡先が分からない。そこで、一か八かで母に聞いてみることにしました。
正直、教えてくれるとは思っていませんでした。でも、私が本気だと分かったのか、しぶしぶ連絡先を教えてくれたんです。
こうしてついに、父へ電話をかけることに。
電話をかけるときは、心臓がバクバクでした。ずっと“いない”と思っていた人に、いきなり連絡をするんですから。
「もしもし、ありさです」「……ありさ?」——これが父の声?。
最初は何を話せばいいのか分かりませんでした。でも、父は落ち着いた口調で、私の話をじっくり聞いてくれました。
知らなかった「もうひとつの家庭」
そしてありささんと父親は、電話でやりとりを重ねた後、ついに直接会いました。
父は、すでに新しい家庭を築いていました。再婚し、異母兄弟もいました。
再婚していたこと自体は驚きませんでした。でも、異母兄弟たちが十分な進学や就職の支援を受けて育っていたと知ったとき、衝撃を受けました。
一方ありささんは、本当は行きたかった大学を諦めざるを得ませんでした。
母の妨害を受けながらも、親戚やおそらく父からの援助を得て短大に進学しましたが、自由に選んだわけではありません。母から逃れるために、興味のない学部を選ばざるを得なかったんです。でも、異母兄弟たちは違いました。希望する進路を選び、大学に進学していた。それを知ったとき、正直悔しかったです。『なんで私だけ?って』……。
父と母、それぞれの言い分
父と何度も話すうちに、「父親」という存在へのイメージも少しずつ変わっていったといいます。
なぜ私と会えなかったのか、なぜ母は私を父から遠ざけたのか——それぞれの言い分がありました。母には母の、父にも父なりの考えがあった。でも、納得できる話ではなかったですね。
それから、父から聞いて驚いたことがあります。
「お母さんから、ありさは『お父さんに会いたくない』って言ってる、って聞いてた」
……いやいや、そんなこと一言も言ってませんけど???もう、どこからどうツッコめばいいのか。嘘つきの母親らしいとは思いましたが…。過去のことを蒸し返したところで、自分の選択肢が増えるわけでもないけど、少なくとも話を聞けたことで、自分の中で区切りをつけられたような気がしました。
「子どもには知る権利がある」——この経験から伝えたいこと
ありささんは、自身の経験を振り返り、強く感じることがあるといいます。
私のように、片親の存在を知らされないまま育つ子どもがいます。でも、それで本当にいいんでしょうか?
親同士の問題と、親子の関係は別の話だと思うんです。私は父の存在を知らないまま育ちました。そのせいで進学の道が狭まり、人生の選択肢も限られました。でも、それ以上にショックだったのは、『父親がいないと嘘をつかれていた』ということでした。
そして、こう強調します。
親が話さなければ、「子どもは、自分が何を知らされていないのか」すら分からないんです。
「子どもの権利条約」にも明記されている「父母を知る権利」
日本が批准している「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」の第7条には、『子どもは父母を知る権利がある』と明記されています。
しかし、ありささんのように「自分の親」について、真実を知らないまま育つ子どもは少なくありません。
本当のことを知る機会さえあれば、もっと違う選択ができたと思います。同じような思いをする子どもが一人でも減るように、大人たちがもっと考えていけたらいいですね。
ありささんは静かに微笑み、そう語ってくれました。
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