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「シンガポールなら確実に逮捕案件です」── 日本の親子引き離しの実態

会いたい

「パパー!」その声を最後に、娘は消えた。

「パパー!!」
泣きじゃくる娘。
その小さな体は母親に無理やり抱きかかえられ、必死にこちらへ手を伸ばしている。
その姿が、声が、どんどん遠ざかっていく…。

それが、リョウさん(仮名・40代)が愛する娘、アミちゃん(仮名)の姿を見た、最後でした。

後に、この出来事をシンガポールの警察に伝えたとき、
警察官は目を丸くしてこう言ったそうです。
「は? それ、うちの国でやったら確実に逮捕案件ですよ。DVからの避難とか、よっぽどの理由がない限り、誘拐になります」

しかし、続けてこうも言いました。
「それは日本で起きたこと。我々の権限は及ばない。残念ながら…」

世界基準では「犯罪」
しかし日本では「家庭の問題」という便利な言葉で片付けられてしまう理不尽。
一体なぜ、こんなことがまかり通ってしまうのでしょうか。

輝いていたシンガポールでの日々

悲劇が訪れるまでは、リョウさんの家庭は温かな光に包まれていました。

2020年、シンガポール。
日本で育った韓国籍のリョウさんは、現地で自らのビジネスを手がけ、
妻との間に待望の娘・アミちゃんを授かります。

会社勤めの妻は多忙な毎日を送っていたため、経営者として比較的時間の融通が利くリョウさんが、自然と育児の中心を担うようになりました。
娘のために食事を作り、公園で遊び、絵本を読んで寝かしつける――
そんな日々の中、アミちゃんの笑顔のそばには、いつも父である彼の姿がありました。

仕事と育児に全力を注ぐ毎日は、体は疲れていても、何ものにも代えがたい幸せだったのです。

「2、3ヶ月だけ…」― 悪夢への片道切符

しかし、世界中を襲った新型コロナウイルスの波が、家族の運命を静かに狂わせ始めます。

当時、シンガポールでは極めて厳格な外出制限が敷かれていました。
息が詰まるような生活の中、ある日、妻がこう切り出します。
「少し気分転換したいの。2、3ヶ月だけ、アミと日本に帰ってもいい?」

愛する妻からの申し出を、リョウさんが断る理由はありませんでした。
2021年の暮れ、妻とアミちゃんは日本へ一時帰国。
リョウさんも仕事の引き継ぎを済ませ、後を追うように日本へ向かいました。

彼が都内に借りた家で、再び始まった3人での暮らし。
アミちゃんは変わらずパパにべったりで、一見、穏やかな日常が戻ってきたかのように思えました。しかし、それは嵐の前の静けさだったのです。

コロナ禍で共に過ごす時間が増えたことで、些細な価値観の違いがぶつかり合うようになります。
家事のやり方、娘の寝かしつけ…。小さな口論は、次第に大きな亀裂へと変わっていきました。

そして、運命の夜。
妻が、何の前触れもなく激しい怒りをリョウさんにぶつけてきたのです。
「今思えば、彼女は無理やり喧嘩の口実を探していたように感じる」とリョウさんは振り返ります。

明確な理由もなく、ただ一方的に感情をぶつけられた末に、妻は叫びました。
「離婚だ!」
あまりに唐突な終了宣告。リョウさんは呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

そして、その翌日。
何の話し合いもないまま、妻はアミちゃんを連れ、彼の目の前から姿を消したのです。

娘を人質にした、冷酷な要求

シンガポール政府による通達抜粋(日本語はアイタイムズによる訳文)

妻は、アミちゃんを連れて都内の実家に戻っていました。
リョウさんが離婚の条件を尋ねると、返ってきたのは、
交渉や依頼ではない、命令のような一言でした。

「金を振り込め」

娘に会いたいなら、金を払え――。
何よりも大切な我が子を「人質」にとったかのような、非情な要求。父親として、いや、人として、到底受け入れるものではありません。

この瞬間、これは単なる夫婦喧嘩ではないのだと、リョウさんは悟ります。
彼の長く、孤独な、そして何とも理不尽なシステムとの闘いが、ここから始まったのです。

「ハーグ条約」という希望。しかし、そこには“日本の壁”が待ち受けていた

ハーグ条約前文抜粋(日本語はアイタイムズによる訳文)

彼が最初に頼ったのは、「ハーグ条約」という一筋の光でした。

これは、国境を越えて連れ去られた子どもを、元の居住国へ速やかに戻すための国際条約。
そして、離れて暮らすことになった親子の交流を確保するための国際ルール。いわば「親子のためのグローバル・スタンダード」です。

シンガポールは2010年に、日本も2014年にこの条約を批准しています。
つまり、両国は条約に従う義務を負っているはずでした。
リョウさんは早速、日本の外務省を通じて、娘をシンガポールへ返還するよう正式に申し立てます。
法と正義は、自分にある。彼はそう信じていました。この時までは。

しかし、その希望は日本の司法によって、いとも容易く打ち砕かれます。

「日本の土俵」という異世界ルール。あまりに不可解な判定負け

「はい、棄却します」
日本の家庭裁判所が下した結論は、無慈悲なものでした。
高等裁判所でも、結果は同じ。
その驚くべき理由は、こうでした。
「娘さんはもう日本で生活してるんで。シンガポールとの社会的つながりは、もう無いんじゃないすかね」

…ちょっと待て。
アミちゃんが人生の大半を過ごしたのはシンガポール。父親の仕事も、家族の生活拠点も、ぜーんぶシンガポール。この「一時帰国」の日本滞在は、ほんのわずかな期間に過ぎません。どう計算したら「つながりが無い」なんて結論になるのか、第三者でも首を傾げるレベルです。

なぜ、明白な事実が無視されるのか。

「今思えば、最初に日本で申し立てをしたこと自体が、妻の思う壺だったのかもしれません」
リョウさんは、唇を噛みしめます。まるで、最初から「日本の司法」という、連れ去った側に有利な土俵に引きずり込まれるよう、すべてが計画されていたかのように――

孤立する父親、エスカレートする金銭要求


司法の壁にぶつかる中、リョウさんをさらなる孤立が襲います。

最初に相談した日本の弁護士は、「ハーグ条約案件は難しいですから」と、早々に辞任。
頼るべき専門家さえ失いかけた彼を救ったのは、同じような被害に苦しむ外国人の支援団体でした。
そこでようやく、親身になってくれる弁護士とめぐり会えたのです。

しかし、その頃にはすでに試合は終盤。圧倒的に不利な状況は変わりませんでした。
限られた時間の中で、リョウさんがアミちゃんと再会できたのは、たったの2回。
その貴重な面会のたびに、妻側の要求は信じられないほどエスカレートしていきます。そして、ついにはこう言い放ちました。
「5000万円。払わなければ、娘には会わせない」
我が子が、まるで誘拐犯の人質のように扱われる。
そんな悪夢のような事が、法治国家・日本で、白昼堂々と繰り広げられていたのです。

「これは犯罪だ」── 一人の刑事がつないだ、最後の希望

もはやこれは、夫婦間のトラブルなどではない。明確な「犯罪」だ。
そう確信したリョウさんは、最後の望みを託し、警察署の扉を叩きます。
娘を連れ去り、それを盾に金銭を要求する行為を「強要罪」として刑事告訴したのです。

そこで待っていたのは、意外な反応でした。
事情を聴いた担当刑事は、驚きを隠さずこう言ったのです。
「子どもの連れ去りはよく聞きますが、ここまで露骨にカネの話が絡むのは、私も初めてですね…」

刑事は、この問題の異常性をはっきりと認識し、真摯に耳を傾けてくれたのです。
「正直に言います。単なる連れ去りで逮捕した前例は、私も知りません。しかし、子どもを人質に金を脅し取る行為は、強要罪で立件された例があります。我々として、やれるだけやってみます」

絶望の淵で、失いかけていた日本への信頼。その刑事の言葉は、闇の中に差し込んだ、わずかな光でした。「この刑事さんに出会えたことは、不幸中の幸いでした」とリョウさんは語ります。
その言葉を胸に、彼は再び前を向く決意を固めたのです。

なぜか加害者扱いされる父親

「そもそも、日本人ですらこの問題で救われてないんですよ。
外国人の私が、簡単に救われるわけがない」

リョウさんのその言葉は、悲痛と同時に、
「これは国籍の問題ではない」という強いメッセージを帯びていました。

裁判所は娘の返還を認めず、妻からは法外な金を要求される日々。さらに信じがたいことに、実の父親であるにもかかわらず、アミちゃんが通う保育園への立ち入りを禁止されました。行政手続きも、すべて母親の一存で進められてしまう。

理不尽な対応に抗議するため、保育園や区役所に足を運ぶと
、そこで待っていたのは、根拠のない疑いの眼差しでした。

「あなたが、奥さんに暴力をふるったんじゃないんですか?」

証拠ゼロ、一方的な決めつけ。
まるで自分が凶悪な加害者であるかのように扱われた屈辱を、彼は今も忘れることができません。連れ去られた被害者が、なぜか加害者扱いされる。ここは一体どこの異世界でしょうか。

シンガポール警察の言葉が暴いた、日本の「歪み」

シンガポール刑法361条:下線赤字はアイタイムズによる訳文

この歪みを、国際的な視点から浮き彫りにしたのが、シンガポール警察の言葉でした。

リョウさんから相談を受けた担当官は、こう断言しています。
「シンガポールでやったら一発で逮捕ですよ。正当な理由がない限り、明確な『誘拐』です」

しかし、その正義はパスポートを持っていません。
「残念ながら、事件が起きたのは日本国内。私たちに捜査権はありません。というか、日本の警察が我々の捜査に協力した前例も、聞いたことがないですね…」

その言葉は、日本の司法・行政システムがいかに国際常識からかけ離れているかを、
残酷なまでに示していました。

日本はハーグ条約に加盟していながら、その理念を実行するための国内法が全く追いついていないのです。特に、離婚後に父母のどちらか一方しか親権を持てない「単独親権制度」は、「先に子どもを連れ去った方が親権争いで有利になる」という状況を生み出し、まるで椅子取りゲームのような状況を生み出し、こうした悲劇を助長する元凶として、長年、国際社会から厳しい非難を浴び続けています。

リョウさんが直面したのは、単なる一個人の暴走ではなく、この国の制度そのものが持つ「歪み」だったのです。

今も耳に残る、最後の声と共に

リョウさんの脳裏には、今もあの日の光景が焼き付いて離れません。

「パパー!!」
泣き叫びながら、自分に向かって必死に伸ばす小さな手。

その瞬間が、悪夢のように何度もフラッシュバックし、彼の心を締め付けます。

シンガポール刑法363条:下線赤字はアイタイムズによる訳文

それでも、彼は決して諦めません。
なぜなら、このまま自分が闘いをやめてしまえば、アミちゃんは「大好きだったパパに捨てられた」という深い心の傷を、一生抱えて生きていくことになるかもしれないから。

そして、何よりも信じているのです。
どんなに遠く引き離されても、父と娘の絆は決して消えない、と。

「パパは、今も君のことを諦めていないよ」

その想いを胸に、リョウさんは今日も闘い続けています。

たった一人、この「ちょっと不思議なルール」を持つ国、日本で。

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